父親とミステリ

   私には父親がいる。当たり前である。もちろん単為生殖で生まれてきた人間などこの世にいるはずがない。

 

 

   私の父親の記憶は小学1年生で止まっている。6歳の時に父と母は離婚した。大きな要因は父親のDVだったが、母親に問題がなかったわけではないと思っている。だからといって暴力で押さえつけることを正当化するわけではない

   母は真夜中の新聞配達と日中のパート勤務で一日の大部分家に居らず、私が一人っ子で痛みを分け合える兄妹がいないこともあって、私は次第に自分の世界に没頭していった。

   ひたすら学研の図鑑を読み耽って、動物を模写したり、想像で新種の動物を考えてみたりした。また、オリジナルの遊戯王カードを作って一人二役で勝負してみたり、天井の模様で迷路してみたりと、自分で言うのもなんだが天才的に一人遊びは上手かったと思う。寂しいというよりは一人が幸せ、と感じられる幼少期だった。

   高校生になってようやく友人にも恵まれ、今でも心許せる親友と出会えたのだが、そのころからふと、自分の父親について思いを巡らすようになった。どんな人物だっけ?

 

   当時はなんだかもの凄い非道いことをされていた記憶があったのだが、今改めて考えてみるとその印象がかなり薄れていることに気付いた。たしか顔はつり目だった気がする。仕事は火葬場で人を焼いていたと思う。片足が生まれつきか事故の為短く、いつも片足を引き摺って歩いていた。

   なんとも推理小説に出てきそうな人物だ(笑)町の嫌われ者で変人、藪睨みの目をそこら中に憎々しげに泳がせ、いつも悪態をついている、そんな老人。こう考えるとニヤけてくる。

   父親の性格はどうだったか。ビールが好きで、赤ちゃんの私にビールを持たしている動画を見た気がする。公園かどこかで一緒に滑り台を降りている動画もあったっけ…父親としてはなかなか悪くなかったのではないか。

   記憶の中の父親がどんどん美化されているようだ。

 

   そういえば自分が父親になると分かった時、無性に不安になったことを思い出す。DV父親の悪い血を自分は受け継いでいる。このままでは自分も子どもに暴力を振るってしまうのではないか、と。

   そして、数多くのミステリの中でも似たような境遇の人物が出てくる。「あの家族は遺伝的に異常者が出る」とか「血は争えない」とか。そんな決めつけた台詞を延々と刷り込まれ、負のイメージに包み込まれている人物。

 

   しかし実際に子どもが生まれ、いざ触れ合ってみると、そんな考えがバカバカしく思えてきた。なにが遺伝だ、なにが血だ。さらに後押しするように、ミステリの中の登場人物たちが自分たちの言動からエールを送ってくる。「血は争えない」のではない「血は争わない」わたしはわたし。

   そんな力強いメッセージを今感じている。

 

では。