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僕の猫舎

主に海外ミステリの感想を綴るブログです。

ミステリについて

   そもそもミステリとはなんだろうか?個人的には、呼称に拘りは無い。フィクションのジャンルの一つとして言えば、別に推理小説でも探偵小説でも良いのだ。

 

   そもそもミステリとはなんなのか?これはとても奥深く難解なテーマである。ここで辞書を繰ってみると、ミステリ(mystery)という英単語には神秘的不思議、という意味があることがわかる。例えばナスカの地上絵やイースター島のモアイ像など、何の目的で・どうやって作られたのか不明な人工物などは、神秘的なミステリであると言える。これらは現代の科学技術や世界中の知識人を総動員しても解明に至らない解決不能の謎だ。合理的な説明と物証を提供できず、想像と仮説でしか事象を説明できない謎、これが本来のミステリである。

 

   一方、フィクションのジャンルであるミステリ(推理小説)では、必ずと言って良いほど、提起された謎は結末部で鮮やかに解決される。もちろん読み物としては、謎が解決されないミステリが(ごく一部を除いて)推理小説として成立しえないのは明白だ。推理作家は魅力的な謎を提供し、驚天動地のトリックを織り込み、予想外の真犯人に至る手がかりを散りばめることで、一つのカタルシスへと到達する道筋を作ってゆく。この時点で、推理小説は本来のミステリの意味から大きく逸れてゆく。最初から真相ありきで物語は形作られるのはもちろん、骨(トリック要素)に徐々に肉(ストーリーやキャラクター)が付けられて、一つの推理小説が完成する。

   当たり前のことをつらつらと書いて何が言いたいのか。この一連の過程がミエミエの推理小説は、なんだか座りが悪くむず痒い読み物になってしまう、ということだ。そういう作品は、いい意味で読者を裏切る精巧なプロットに唸らされ、一定の充足感を得られはしても、独特の余韻が無く、「騙された」「びっくりした」で終わってしまうことが多い。

   一方で、限りなく不可能に近く、どんな合理的な説明もできないように思えるにもかかわらず、真相が示されるとこれしかないこれぞ唯一無二の真実だ、と感服させられる究極のミステリにごく稀にだが出会う。それらの作品では、真相から逆行した作り手の意図的な創意は感じられず、むしろ作者も真相を知らないんじゃないか、と混乱してしまうほどの完成度を誇る。

   そんな作品にであうために、私はミステリを読んでいるのだと思う。

 

   私自身まだまだ読書経験は浅いのだが、現時点でそれらの頂点に君臨するミステリはアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』である。この作品を超える、または比肩しうるミステリにこれから出会えるのか、楽しみで堪らない。

 

 

では!