引用:©Disney
感動レベルで言うと4.5ですからね。
公開初日に行ってまいりました。最初は、アクションシーンが激しそうな『キングコング』か『パッセンジャー』にしようかと思ったのですが、時間が合わなくて急きょ変更したのが大成功。過去のディズニー映画(アニメ・実写含めて)を思い返してみても、本作が一番なんじゃないかと思えるくらい、素晴らしい映画だったので、鉄は熱いうちに打て、とも申しますから早めに感想をアップしておきたいと思います。
タイトルで既にお分かりのとおり、開始十五分ほどで、私の涙腺の調節機能はバカになってしまったようで、ドバドバ出るわ出るわの大惨事でした。もともと涙腺は弱い方だと自覚はしているのですが、まさかこんなに泣かされるとは…
感動レベルで言うと4.5ですからね。
急にレベルとか言われても意味不明だと思うので少し説明しますと、映画を見ていて流す感動の涙には、5段階のレベルがあります。
- ジーンときてしっとり瞳が潤うが、何度か瞬きを繰り返すことでやがて乾く
- 目に涙が溜まり、視界が霞んでボヤけるので指で涙を掻き出す(自然と鼻をすする)
- 涙が頬を伝いしっかり顎まで届く(いつのまにか鼻水がでていることも)
- 涙と鼻水コントロールすることができなくなるが、鑑賞には思ったより影響は少ない
- 声(嗚咽)が出る
これで4.5というレベルの高さがお分かりいただけたでしょう。ハンカチなんて当然用意していませんから、涙がどんどん流れ出てシャツの襟はびしょびしょです。さらに、指を噛んでいなければ「うっぅ」では済まなかったことでしょう。
映画館でレベル5というのは、知らない人から見れば、身内に不幸があったと思われてもおかしくないレベルですからね。
ふぅ…ちょっと逸れすぎてしまったので、ここからはちゃんと実写版『美女と野獣』が私の涙腺をぶっ壊した理由を4つ書いていきたいと思います。
※1991年のアニメ版鑑賞済みを前提に書いていますので、物語の核心に触れる記述がございます。未鑑賞の方はお気を付け下さい。
私の涙腺がぶっ壊れた理由
1.再現度の高さ
本作は1991年のアニメの実写版、ということですが、そもそもアニメ版自体が1740年に書かれたフランス文学を原作としているようです。純粋な作品の再現とはもちろんなってはいませんが、アニメ版の実写化という面だけで言えばほぼ完ぺきと言っていいでしょう。
作品の雰囲気、歌と登場人物たちの動き、『美女と野獣』の大きな枠組みは、完ぺきに実写化されています。
特に私の涙腺を刺激したのは、冒頭のベルと村人たちが一緒に歌う「Belle(朝の風景)」です。よくぞ、ここまで完ぺきに再現してくれた!という感謝の涙が流れ、「あれ、これで泣いてたら後がヤバいぞ。」と微かに震えました。
引用:©Disney
2.新たな挿入歌
本作では『アラジン』や『リトルマーメイド』など数々のディズニー映画で名曲を生み出してきた作曲家アラン・メンケンが新たに書き下ろした挿入歌が使われています。その中でも特に素晴らしいのが、ビーストが心の葛藤を歌い上げる「Evermore(ひそかな夢)」です。
ビーストの内面を描くという、実写化に際しての新たな試みの一つに彼の独唱は欠かせません。あとは曲が流れるタイミングでしょうか。なかなか書くのが難しいのですが、「そう、これこれ!」とこっちが欲しいタイミングで流れるのも嬉しいのですが、「ん?ふ~ん、なんか歌いだしたな」と思っていたら、どんどんボルテージが上がっていき、いつの間にか心を鷲掴みにされている、というシーンが何度かありました。
引用:©Disney
3、様々な愛の形
ディズニー映画を作るうえで必要不可欠な要素である「愛」
アニメ版『美女と野獣』でも、ベルとビーストとの間に芽生える愛以外にも、ベルと父モーリスの親子愛が重要なテーマの一つになっていました。本作でもその二つはしっかり守られ、より強固に美しく描かれています。
ただ、それだけじゃない!ここが本作最大の感涙ポイントでした。アニメ版では語られなかった、あるキャラクターの過去のエピソード自体、涙なしには見ることができません。すべてを詳しく言えないのは残念ですが、恋人・家族・親子・親友の間に生じる愛の形だけで、ラスト15分+エンドロール(!)までしっかり泣かせてくれます。
引用:©Disney
4、発明家のモーリス
実はですね。感動ポイントは本当は3つなんです。4つ目が出てきてしまったのは、自分のアホさというか、言葉にできない心の弱さとかだと思うんです。思いついてしまった自分を呪います。
それは、実写版の発明家モーリスを初めて見た瞬間のことでした。
引用:©Disney
この人(ケヴィン・クライン)誰かに似てないか?なんだか懐かしく感じる微笑み…
私だけだと思いますが、モーリスを演じたケヴィン・クラインを見た瞬間、2014年に亡くなった名優ロビン・ウィリアムズを思い出したんです。『ジュマンジ』や『ミセス・ダウト』を見て育ったようなものなので、モーリスを見るたびにロビン・ウィリアムズが出てきて、もしかしたら彼が今生きていたら、モーリス役をやっていたんじゃなかろうか…なんて(本当にケヴィンさんには申し訳ないのですが)考えてしまい、涙が止まらなくなってしまいました。
こんなくだらないことを書きながら、モーリスのベルに向ける優しい笑顔や、力強い父親の表情を再び思い出してみると、ケヴィン・クラインには、また違った魅力があるような気がしてきました。
終わりに
4つ目の理由は、本作のレビューに全く不必要ですが、そのせいで上映中ずっと涙していた気がします。
ちょっと勢いのまま取り留めもない記事にはなってしまいましたが、実は明日、もう一度見に行く予定なので、随時加筆修正したいと思います。
では!