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僕の猫舎

主に海外ミステリの感想を綴るブログです。

古今無類の貴族探偵、華々しく退場【感想】『忙しい蜜月旅行』ドロシー・L・セイヤーズ

 

忙しい蜜月旅行 (ハヤカワ文庫 HM (305-1))

忙しい蜜月旅行 (ハヤカワ文庫 HM (305-1))

 

 

発表年:1937年

作者:ドロシー・L・セイヤーズ

シリーズ:ピーター・ウィムジィ卿11

 


ついに完結してしまった。悲しい。

本格的にミステリを読み始めて1年半、貴族探偵ピーター・ウィムジィ卿シリーズ第1作『誰の死体?』を読んでから約1年、ついにシリーズ最終作を読み終えました。もちろん全作読み切ったという達成感も一入なのですが、同時に、もう二度と新たな物語に触れることができないこと考えると、喪失感がどっと押し寄せてきます。

この気持ちは、また別の機会に記事にするとして、本作のレビューを先に済ましてしまいましょう。

 

読者の方で、本作がシリーズ初挑戦ということはほとんどあるまいと思うので、あらすじは省略します。もし、まだ読んだことのない方は、是非この機会に、第1作『誰の死体?』からチャレンジしてみてください。

tsurezurenarumama.hatenablog.com

 

 

本作は、タイトル通り、ピーター卿も自身の去就を決定的なものにし、さあイベント当日!というところから物語は始まります。

本当に残念でならないのは、今まで、シリーズの翻訳を手掛けておられた浅羽莢子氏が、2006年に亡くなられ、本作のみ訳者が違うことでしょう。しかし、浅羽氏も逝きたくて逝ったわけではないはず。書き上げたかったに違いありません。改めて浅羽氏に感謝の念を表すとともに、ご冥福をお祈りしたいと思います。

そして、出版社は違えど、訳者の遺志を継ぐ形で新訳を出版していただいた早川書房と訳者の松下祥子氏にも賛辞を送ります。

 

たしかに、従僕のバンターのピーター卿の呼び方には、多少の違和感を感じるのですが、それくらいのことで作品の良さは損なわれません。

また浅羽氏にはピーター卿とともに過ごした10年近くの歳月があったわけで、経験というハンデを考慮しても、キャラクターの書き分けや洗練されたジョーク、独特の引用を多用したセンスある会話の数々は、なかなか上手く翻訳されているように感じます。

それに、ピーター卿とハリエットの関係性も、前作と大きすぎるほど変わっているため、口調や態度が微妙に変化するくらいのことは、想定の範囲内です。

 

そろそろ、肝心のミステリについて書かなくては。

冒頭から、ピーター卿の母の手紙がページを占め、事件が起こるまでのスピード感は遅めです。だからと言って、ひとたび事件が起これば怒涛の展開が待っている…という訳でもなく、物語の軸は、常に日常の延長線上にあるに過ぎません。

これが本シリーズ通して、特に大好きなポイントです。殺人事件というのが日常生活内に突然発生する異物ではなく、誰にでも起こり得る事象であり、結果的に自然な導入になっている点が、リアリティがあって良いと思います(もちろん異質の雰囲気を高めた作品もそれはそれで面白い)。

 

また、本作では、今までにない大胆な手法で手がかりが隠されていますセイヤーズ自身にしても、シリーズ最終作にして、かなり勇気を要するチャレンジだったに違いありません。

私も序盤からヒントには気づきはしましたが、論理的にパズルのピースを組み合わせるところまでは、到達できませんでした。

 

全体の物量は多いのですが、常に新しい手がかりが読者に提示され、終盤の解決編までは、謎とその解決を中心にしっかりと読ませてくれる濃厚なミステリになっています。

 

そして、登場人物に関しては、シリーズ最終作にして素晴らしい個性を持ったキャラクターたちが登場しています。ピーター卿とほぼ互角に引用合戦を繰り広げる実力を持ったカーク警視(しかも警察!)、良い人オーラが全身(全台詞)から溢れ出ている○○氏(ネタバレ回避のため)などがその代表です。

逆に、レギュラーキャラクターだった親友のチャールズ・パーカーの登場がほとんどなかったり、同じく友人のフレディ・アーバスノットやクリンプスン嬢の登場が無いなど、残念な部分もあります。

 

ミステリ外の部分も重厚なのですが、一言で言うと、もの凄いものを読んでしまった、という感じ(すいません語彙が少なくて)が強く残りました。

まず、バンターとピーター卿との絆を表すエピソードは感涙もので、何度読んでも心打たれるし、このエピソードを読んで新たにシリーズに挑戦すると、さらに味わい深い作品になることは容易に想像できます。

また、犯人が明かされてから100Pほど物語は続くのですが、この中で語られる物語は、ピーター卿のみに関連する話ではなく、推理小説全般に関連する深淵なテーマにも触れています

さらに、ピーター卿の最後の姿は、涙なしには読むことはできません。創作の人物であることは百も承知であるにも関わらず、ここまで人間味に溢れ、愛すべき探偵が今までいたでしょうか。推理小説に究極の人間性を加味した最高傑作と呼ぶに相応しい作品だと思ってます。

 

もちろん、全体にはユーモラスでコメディ要素も多く、読んでいて楽しいというポイントはしっかり押さえているのでご心配なく。

 

 

今回は≪謎探偵の推理過程≫は省こうと思います。

どのような思考で犯人当てを行ったか、あえて記録に残さないでおこうと思うのです。

 

何度忘れても良い、再読の度に驚き、涙し、笑い、素晴らしい作品に出会った、と胸を張ってブログに記事を書ける。そんな作品に出会う経験を、人生で何度できるだろうか。と考えると、もったいなくて逆に記録に残すことができません。

 

シリーズが全て終わったとはいえ、実はまだ短編集が残っています。ピーター卿のその後、みたいなのが書かれた作品もあるようなので、少し時間をおいて読んでみようと思っています。それまでは、しばらく余韻に浸らせてください。

 

 

 

では!