家蝿とカナリア【感想】ヘレン・マクロイ

発表年:1942年

作者:ヘレン・マクロイ

シリーズ:ベイジル・ウィリング博士5

 

本作は、1942年に発表されたニューヨーク出身の女性作家ヘレン・マクロイの推理小説です。

検索にかけてみると、案外レビューサイトが多いことに驚かされました。やはり、ミステリーファンの間では、評価の高い作品なんですね。

 

私は本作がヘレン・マクロイ初挑戦のため、作風などの特徴らしい特徴は、うまく言い表せない気がします。しかし、これだけは言えます。

これほどの作品と作家が、なぜもっと脚光を浴び評価されていないのか?

全てのミステリが完璧で非の打ちどころがない、とまでは言えませんが、完璧までに美しい情景描写と、それによって頭の中に具現化されるクラシック感溢れるニューヨークの街並みが、作品をさらなる高みへと推し上げています。

2018年追記

続々と邦訳化が進んでますね。あとはシリーズ第1作『死の舞踏』が手に入りやすくなれば…論創社様、お願いします。

 

 

 

本作では、“色”に関する作者の描写力に素晴らしいものを感じます。ただ単に髪の色や瞳の色だけで登場人物を表現するのではなく、来ている服装や歩いている道、寄りかかる壁、その瞬間の天気や空、そういったもの全てに細やかな色彩を宛がうことで、超高層ビル群で溢れ、日の当たらないどこか薄暗いニューヨークの街との対比もより一層美しく感じるのです。

 

作品紹介に戻ると、主人公は精神科医のベイジル・ウィリング博士で、彼が主人公のシリーズものは全部で13作品あるらしいのですが、残念ながら全ての作品の邦訳は完了していません^^;

2015年現在でも読めるのはそのうち8作品と、これからの邦訳化が大いに期待されます。本作はそのうち第5作目ですが。邦訳されているもので数えると処女作『死の舞踏』に次ぐ2作品目で、しかもこちらの『家蝿とカナリア』の方が先に日本で発表されていることもあり、必ずしも1作目から読まなければついていけない、なんてことはないのでご安心を。

 

本作のあらすじについては、詳細は控えることにします。

推理小説を読もう!読み続けよう!と感じさせられる魅力には、事件の舞台や、事件が殺人であれば、その方法などの要素が挙げられますが、本作はそのどちらも兼ね備えており、読者の興を削がないためにも、敢えてそこまで明かすことはしないでおきます。

 

登場人物は主に俳優です。

以前クリスティ作品の『エッジウェア卿の死』で「登場人物の中に俳優やら女優やら入れられるのは、もうお腹いっぱい」と評しましたが、本作ではどうでしょう。

う~ん、感覚で言うとあれだ、

女子がご飯をお腹いっぱい食べたにもかかわらず、デザートを見て言うあの一言……そう

「別腹♪別腹♪」

本作は別腹なのです。

 

これは、本作の中核を成すトリックが、俳優という職業が真犯人の素顔を隠す仮面の役割を果たす、ということだけでなく、邦題『家蝿とカナリア』が表現する、心理的・科学的なトリックであることに他なりません。

この部分は作者の清々しいほどフェアプレイ精神に満ちた、本作の導入部分(しかも一行目)でこう明かされています。

 

一匹の家蝿と一匹のカナリアとを仲だちとして(中略)解決を見たのだった。

 なんか粋だなおい。

 

あくまで、最初からこれとこれがヒントですよ。どーぞお解きになって。と言わんばかりのプロローグ。

しかも家蝿とカナリアは作中随所に登場し、なにかの暗示的なぼんやりとしたその場限りの小さな証拠などではありません。しっかりとミステリの中心に絡みつき、読者を翻弄します。

 

こうして見ると、原題と邦訳は違って正解なのかもしれません。

原題は「Cue for Murder」直訳すると“殺人の手がかり”なのですが、“手がかり”ならば「Key(鍵)」の方がしっくりくる気がします。

この「Cue」にはもう一つ意味があり、劇用語にも用いられるのですが……

おっと、危ない危ない。

 

えーっと、えービリヤードの「キュー」のことです(白々しい)

なんとかネタバレは回避できました。

 

では!